昭和54年02月08日 朝の御理解
御理解 第82節
「大蔵省は人間の口をみたようなもので、その口に税金が納まらぬ時は、四分板張った戸一枚で寝てはおられぬ。どこの太郎やら次郎やらわからぬようになろうぞ。」
昨日は、昨夜は総代会でしたから、総代会を終わらせて頂きましたのが、もうやんがて十二時、十一時半くらいあったでしょうか。部屋に上がらせて頂きましたら、家内がまだ裁縫をしながらテレビをつけておりました。それで今日は、あのう日本の億万長者という人達が、あのう「まぁ話しがありよります」というから、私は見せてもらいましたが、もう半ばでしたけれど、男の方が二人、女の方が一人。
まぁそのいろいろな質問がありました。いうならお金儲けの秘訣とか。なんとかというわけなんです。それに、異口同音に言われることは、「命がけだ」ということです。昔からのじゃなくてから最近終戦からこっちに、いわゆる儲け出した人達です。ね、これは三人が三人ともそう言われました。いうならば、一生懸命ということなんです。ね、一生懸命ということは、ね、もう本当に一生命を懸けるということです。
次にあの最後に、手相見さんですかね、人相見の人がその三人の手相、人相を見てから「この人は、ここがこういう人相しておられるからお金が残る」とか手相を見るとどの人でもそのやはり「儲からなんごとでけとる」というて説明をしておりました。ある人に一言そのお金の貯まるその秘訣というふうにいってましたが、その人が。あのう「儲けるではなくて、儲かるでなからなければいけません」っち言ってました。素晴らしいことですよね。「儲けるじゃいかん」っち。
儲けるっちいうことは、自分がどげんかして儲けたいという。儲かるというのは向こうからやってくるという。その為にはもうこれも皆三人が三人言っておりましたが、「大きな心豊な心、そして皆が従業員のことを一生懸命本気で思っておる」というんですね。三人のうちの二人は、あの「全然谷がなかった」っち。ずうっと一本調子で儲けだしたわけです。一人の方はやっぱ良かったり、悪かったりした時なんかはもう、そのう「私に付いてきてくれる従業員のことばっかりを考えた」っちいうんです。ね。
同時にもう必ず皆言っておることは、その自分の係わり合いのある人達が皆「儲けだしてもらわんならん」と言ってますですね。信心させて頂くもんの、私は心がけとも言う様な事を話しておりました。ね、「おかげ頂きたい、おかげ頂きたい」じゃなくて、結局おかげは神様が下さるもの。これはもう限りが無い。ね、「頂かにゃならん」じゃなくてね。神様が下さる。下さる内容をこちらが作るということなんでしょうね。そしてそのお金を決して貯めてはならん。
貯めてちいうか「銀行においてはならん」と。「もうそれを、全部生かして使わないかん」っち。ね。まぁそう言う様な事を言っております。ね、私は一生懸命ということ、ね、これは三人が同じ命がけ。いうならば死にものぐるいと、言った様なものじゃなくて、もうそれには本当に、やはり一生懸命。一生を懸けておる。だから、私はそれ皆聞かせて頂いて、私の信心もその人たちがいう、どれにでんもやっぱり、あてはまるなぁということを思いました、ね。
例えば、なら今日の御理解。税金なんかは出来るだけ少なく、少なくと言う様な考えかたじゃダメです。ね、毎年毎年よけい多くなっていくことを、楽しみにならにゃダメです。わざわざ昇りあがってからよけいやらなんっち、いうことはなかっちゃけん。正確にきちっと、そしてそれがいわいる去年よりも今年と言う様に、その税額が大きくなっていくことが楽しいと、言う位にならなければならない。そこでんなら儲けだす人、そういう運の良い人というのは、もう人相に現われておる。手相に現われとる。ね。
そこでんなら私どもは、そのそげな良い手相はしとらん。そげな良い人相はしとらん。「もう私達はダメだ」というのが普通一般。信心のない人達の考え方であると同時に、またその通りなんです。ね、信心はいうならば、そういうそれこそ心一つで、ね、心一つで、ね、おかげになるという。心一つで運命が変わるというほどしのもの。ね、人相もそんなに儲けだす人相じゃない。例えば耳なら耳が大きいてね、儲けだす人は。んなら耳のこまい(小さい)人は、「さぁ信心するようになったら耳が大きくなった」っち言う様なことはなかもんね。
儲けだす人は、鼻が大きいっち。んならこうまか(小さい)鼻がいっぺんに大きゅうなるはずがなかもん。ね、ところがです。心の耳が大きくなる。心に鼻が大きくなる。心の口が大きゅうなる。なかなかいわば信心なくても儲けだす人は、やはりいうなら人相も豊かな人相してますよ。ね、ところが心一つでどんな運命でも、いうなら良い運命を獲得していくことができるというのが信心。それも心一つなんです。ね。
昨日は、「ワンタッチ」ということを私が頂いたんです。どういう例えば問題であっても、どういうことがらであっても、ね、自分のいうなら心にもってくる。ね、いろいろなことは考えることはいらん。自分の心の上にもってくる以外はない。ね、この「ワンタッチ」を覚えなきゃいけんです。ね、その心にもってくるということは、もう限りが無い。ね、それもです。もう根本的にやはり、一生懸命のものがなからなければいけない。いわば命がけということである。ね。
いよいよ豊な心を頂かなきゃならん。ところが豊ではない。そこでんなら豊になる手立てを合楽理念をと。ね。苦い問題。ね「はぁ今こそ心が大きゅうなる為に苦いせんぷりを飲ませて頂きよるとき」と思うて、ね、楽しい、心が大きくなっていくための修行させて頂きよると思うから。だからいつの間にかいうなら胃は健全になる。体は健全になる。いうなら心が大きゅうもなりゃ豊にもなってくる。神心を目指す。ね。
親切な心も従業員の一人、一人の上にでも、自分の一家のことよりも、従業員一家のことを、本気で一生懸命に思うと言う様な、生き方をするなら、私はその例えば店なら店、会社なら会社は繁盛する。その指示についていかないはずはないと思う。人間界関係が悪くなるはずはないと思う。ね。「どうかして、おかげを頂きたい、おかげを頂きたい」という心からどうかして心を大きくしたい、豊にしたい。それを教えに求め、それを教えによって頂こうとする。
そこから運命は切り替えられて、人相はそんなに億万長者の人相はしとらんでも、億万長者になることがでけるのが、御道の信心だと私は思うです。金の残る手相を書いてしよりまして、私も自分で自分の手相をこうやって、見てみたけれども私の手相はいっちょんもうお金の残るような手相じゃないです。まぁ人相やらからこう見てから、耳の大きかとこだけは、あのう他のとこは金が残るとか、金に不自由しないと言った様な意味じゃないけれども結局心一つで私の場合は、いわいるワンタッチで、ね。
だんだんおかげの頂いていけれる、いうなら内容がでけてきた、ということになるのじゃないでしょうか。ね、私共がどのくらい、だから結局なら金儲けの為にというか、その自分の仕事の為に命を懸けるという、なら金光の信心させてもらえば、ね、信心に命を懸ける。ということになれば、誰でも億万長者になれるということです。ね、心が豊になってくると、いうならば考えかたも変わってくる。もうとにかくお金がどんどん、その儲かる時はと言う様な質問しよりましたが。
もう晩にお金を計算するとがいちいち、こうやって計算するとがめんどくさいから勺で計る(笑い)お金を。というて話しとられました。ね、もう本当にね、結局信心は自分の心の尺度違憾でおかげが決ってくるのですから、ね、お金の方へ寸尺をあてるのじゃなくて、ね、自分の心にいつもあてて行かなきゃならない。苦しい問題。苦しい問題を今それに直面しなければならないような自分の心の、いうならば寸尺を感じさせてもらわなきゃいけない。自分の心を計っていくことに、いうなら心を使わせてもらう。
そして一生懸命。二人の人はもういよいよその運勢、その運のよい生まれつきにある人でしょうからが、もうとにかくどんぶりがないずうっと儲けだしていったわけです。ね、そういう、いうなら人が世の中にはある。だからそういうのをね、「うらやましい」と思うようなことではおかげになりません。一人の人は非常に、こうどんぶりがあったとこう。いわいる谷間があったと、そういう時に一番先に思い続けたことは、自分についてきておる従業員のことばっかりを本気で考えた。ね。
いうならば、ね、心が前。神様が、いうなら喜んで下さるような心を先に使っておる。ね、大体本気の信心をさせてもろうて、御道に信心の、いうならば、合楽理念なら合楽理念が大体マスターでけて、それを行じていくことが「楽しいんだ、有り難いんだ」ということになってきたらどんぶりはないでしょう。ずうっとおかげを頂く一途をたどっていく。椛目合楽を通して三十年間。ね、「去年にゃ良かったばってん、今年は悪かった」ちいうこつはない。
毎年毎年、年々歳々いわば、向上していっておる。上昇しておるわけです。ね、だから結局運命は自分で切り開いていくものであります。それもそんなら、ただ仕事に夢中になると言った様な事で、ね、心を美しゅうすると言った様な事だけでじゃなくて、信心を基にしてからの心である。ね、大蔵省に税金が納まらなかったらといふうに仰っとられますが、ね、できるだけうんと儲かって、できるだけ少しばっかり治めるような工夫をするようなことでは、もう第一おかげの頂けない。
「はぁこれじゃ自分は大きくなれんな」とまず思うて間違いない。「去年が千円でしたから、来年がどうでん二千円税金がおさめられる様におかげ頂かせて下さい」と言った様な願いを持たせて頂いて、一生懸命願うだけじゃない。やはり一生懸命、命を懸けるということです。もうこの信心にはどれだけ命を懸けても懸け損っち言う事はないですから、折角信心をせて頂くのですから、ね、やはり命を懸けての信心にならせて頂きたい。
どうぞ。